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三国志×経営 第3回「時代が起こさせた『黄巾の乱』張角はインフルエンサーだった?」

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さてさて早いもので第3回です。
記事を書いていくのは大変ではありますが、何でしょう、普段使わない脳を使っている感があって気持ちよくもあります。

それもひとえに読者の方からの応援メッセージがあるからです。

TwitterやFacebookでコメントをいただけたら幸いです。

本当にこのnoteを書くはげみになっています。皆さんありがとうございます<(_^_)>

それでは本日も三国志と経営を絡めて話していきましょう!

黄巾の乱ってそもそも何なの?

黄巾の乱の説明はwikipediaではこのように書かれています。

中国後漢末期の西暦184年(中平1年)に太平道の教祖張角を指導者とする太平道の信者が各地で起こした中国史上初の組織的農民反乱である。

この頃の中国は、と言いますか中国はそもそも袖の下文化が強く、政治が腐っていて機能していなかったとのこと。そこで張角がリーダーとなって起こした庶民による大々的な反乱だったみたいですね。

ちなみに黄巾の乱の「黄巾」はこの反乱に賛同する者は目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いていた事からその名称がついたようです。

黄巾の乱は日本でいうところの「一揆」に近かったんだと思います。今の人は学校で習うのかなぁ。加賀の一向一揆とかありましたよね?
ファミコンでも「いっき」なんてものがあったのですが、当時は「いっき=一揆」だとは知らず。竹やりで戦う農民をただただ夢中で動かしてたなぁ…。

三国志の中では結局のところ黄巾賊は曹操や劉備(この頃はまだ義勇軍でしたね。)たちも参加した軍勢により討伐され、張角もその中で病死してしまいます。結局のところ後を継いだ張梁でしたが董卓や皇甫嵩さんなどに攻められて討ち取られ、黄巾の乱も収束しましたとさ。

張角は時代の求めで立ち上がったインフルエンサー?

三国志演義はもとより、KOEIの「三国無双」だと張角は妖術を使うような色物キャラクターにされていますが、実際のところはリーダーシップと話術に秀でた、現代でいうところのインフルエンサーのような人だったのではないかと自分的には思っています。

張角の弟の張宝が妖術で風を操るなんて事もありましたが、それも単に地形を利用したに過ぎないもので、相手を信じさせる術を使っていましたからね。

人が増えていった時に経営理念はいずこへ?

横山三国志から入った私からすると、黄巾の乱の兵士は”黄巾賊”と呼ばれるぐらいに悪者として描かれています。ただ、もともとは張角も腐敗した政治に怒りを覚えて立ち上がったワケです。これ結構立派な理念じゃないですか?

それがだんだんと組織が大きくなってきてしまい、兵の中には略奪などを出すものが出てきて統率も取れなくなってしまったのだろうなというところです。

まぁ、張角さんも規模が大きくなる過程で変わっていってしまったのか、それともそもそもそういう事を狙っていた人だったのかの真偽は測りかねますが…。

経営もこれに似た事がしばしば起こります。当初は社長の理念があり、それに呼応するようにコアメンバーが集まった。
しかし、だんだんと社員たちの数だけが増え、その会社の理念がどこかに忘れ去られる。もしくは薄まっていき、気づけば他社と同じような会社になっている。

社長→役員→部長→社員のように上から順々にその理念が下に継承されていない限りは組織の同じようなことが起こり続けます。だからといって小さな企業にとどまっていてはスケールできないというジレンマもあります。

現代では組織マネジメント論やリーダーシップ論があるので1,800年以上前の世界とはワケが違うとは思いますが、それほど人間の本質というのは変化していない以上、やり方を間違えばもろくも滅びるといえるのではないでしょうか?

という事で第3回を終わりにしたいと思います。今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

皆様の応援が私を動かす糧になります。

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高橋 輝雄

税理士・FP・元SE。 税理士界の諸葛亮孔明を目指して自己研鑽の日々を送る。 「税務・経営・自分の思考」を軸にHPとブログにて情報を発信。 情に厚く、大変涙もろい。ナイアガラの滝のように泣く。 更に詳しくは著者紹介
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